推しと恋と私

『推しの恋愛』

考えたなくても考えてしまうランキング第1位だと思う。

考えるだけで吐き気はしないけどまあ良い気分ではない。

 

私には推しが2人いる。

3つ年上の女の子と

2つ年下の男の子である。

 

つまり

同性の推しと異性の推し

がいるということである。

 

冒頭で

「考えると良い気分ではない」

と言ったが、これは推しの性別によって変わる。

 

結論から言ってしまうと、

同性だと傷つかないしむしろ尊敬

異性だとなんか地味にショック

である。

 

なぜこうなるのか。

あくまで「私の考え」ではあるが説明したいと思う。

 

 

私は恋愛対象が男性なので、同性が誰かと恋愛してようと何も思わない。

その同性が友人であろうと推しであろうと、だ。

 

友人であれば、特に修羅場でない限り「おめでとう〜!」となるし、場合によっては「いいなぁ.......」と嫉妬や羨望があるかもしれない。

 

これが推しだと、まず嫉妬や羨望は有り得ない。

推しと同じ土俵にいるなんて微塵も思ってないし思えないので、嫉妬や羨望なんておこがましすぎる。

 

強いて言うなら

「彼氏め....... 推しの可愛い姿を独り占めできるなんて羨ましいなおい........」

という羨ましさならある。

 

 

では、なぜ「尊敬」なのか。

 

 

彼女はアイドルである。

一般人には考えられないハードスケジュールの中で動いている。

 

彼女たちのライブDVDのメイキング映像を見てると、公演の最終リハーサルが終了したのは真夜中だった。

この最終リハーサルを始める前にも何度もステージ上で打ち合わせや振りの確認をしている。

これをこなすだけでも体力をかなり消費するはずなのに、終わったのは真夜中だ。

そしてその日の夕方には本番が始まる。

 

ワールドツアーとなると現地で十分に観光する時間もなく、「移動・リハーサル・公演」の繰り返しである。

もちろん時差ボケもあるだろうし、疲れが完全に癒えることなく次の公演が始まる。

 

このハードスケジュール。

一般人ならこれをこなすだけで精一杯である。いや、たぶんこなせない。どこかで壊れる。

 

それなのに彼女たちはこのハードスケジュールの合間を縫って恋愛をしている。

意味がわからない。本当に人間???

 

推しではないが、他のメンバーの熱愛報道が出た時私は拍手して歓喜の舞を踊った。

「なに彼氏いたの!?え!?どこにそんな時間あったの!?仕事と恋愛両立してたの!?あの過密スケジュールで!?すごくない!?え!かっけえ!かっけえ!」

 

え、カッコよすぎる、本当に。

二刀流かっこよすぎて惚れた。

どっちも中途半端じゃないのがすごい。

同じ女性として尊敬した。

仕事の疲れをぜひ彼氏で癒して欲しいと思った。

 

というような感じで、私は同性の恋愛は大歓迎である。

 

 

 

では異性だとどうなるのか。

 

私は彼を別に「リア恋」としては見ていない。

彼はあくまで「アイドル」だし私が知らないプライベートがあることも理解している。

 

それでもショックは受ける。

 

なぜか。

 

おそらく、アイドルとしか見ていなかったのに、恋愛をしているという

「ひとりの男性」

としての部分を見せられるからだろう。

 

 

ここでの「ひとりの男性」とは生物としての性別ではない。

「アイドルではない」という意味での「ひとりの男性」である。

 

「アイドル」の部分だけを見ていたら、よっぽどの事がない限り「アイドルじゃない面」をみることはない。

しかしここに「恋愛」が入ることによって、今まで「アイドル」としてしか見ていなかった彼を

「アイドルではない『ひとりの男性』」

として見ざるを得なくなる。

こちらが拒否しても意識せざるを得なくなる。

 

これはアイドルでない部分を見せられた衝撃はもちろんだが、

「誰かのものになってしまった」

という一種の喪失感も含まれる。

 

これは別にアイドルを私物として考えていたから、という訳では無い。

みんなの「彼」だと思っていたのに、知らない誰かの「彼」になってしまったという謎の悲しみ。

 

 

この状態で推しが恋愛ソングを歌ったらもう私はきっと灰になる。

これに耐えられるほど強靭なメンタルは残念ながら持ち合わせていない。

割り切ることが出来るほど都合のいい頭も持っていない。

ただただ勝手に想像して勝手にショックを受ける。

「あぁ君はもう誰かのものなのか」

と。

某バックな数字の曲に出てきそうなほど重ったるい想いだが、推しを「アイドル」として強く見ているほどきっとこの時のショックは大きくなるのだろうなと思う。

 

 

ここまで来ると

「性別は違えど彼もアイドルだ!ハードスケジュールだぞ!」

という声が聞こえてきそうだ。

 

 

確かにその通りである。

 

 

彼もきっとハードスケジュールの中で少なからず心身をすり減らしながらこちらに笑顔を振りまいてくれているのだろう。

本当に頭が上がらない。

 

だが、「リア恋」でなくても無意識のうちに私は彼を「異性」として見ている。

この「異性」は生物的なものである。

 

彼を見ているとパフォーマンスはもちろん、動画の中で見せるふとした言動に「ドキッ」とする。

「かっこいい」と思う。

「こんな人現実にいたらな〜」とも思う。

 

 

ではこれが全くの別人であったらどうなるか。

極端ではあるが、「〜しん!」で有名な芸人の某ブラックちゃんで考えてみたい。

 

 

ブラックちゃんがキレっキレのダンスをして琳寧くんを上回るほどのアクロバットを披露したらドキドキするだろうか?

失敗しないかとハラハラドキドキはするだろうが、胸の高鳴りという意味での「ドキドキ」は一切ない。

 

ブラックちゃんが素早い手さばきでトランプをしたり、ピアノを弾いたりしたらどうだろうか。

能力の高さに関心はするだろうが、「かっこいい!」とはあまり思わない。

 

 

おそらくこれは私がブラックちゃんのことを「芸人」としてしか見ておらず、

「異性」ということを全く意識していないからである。

 

つまりブラックちゃんとは違い、私が彼にドキドキしたりかっこいいと思ったりするのは

「『異性』というフィルター」

がかかっているからだ。

 

「『異性』というフィルター」がかかっている限り、たとえ彼の仕事のハードさを理解していても、彼が仕事も恋愛も両立していようとも、「自分が知らない『ひとりの男性』としての彼」を意識してしまい苦しくなってしまう。

 

 

以上のことから「地味にショック」である。

 

 

 

 

推しの性別が違うだけで私はこんなにも捉え方が変わる。

話の主旨とは異なるが、「性別が与えるイメージ」は大きいものだなと強く思う。

 

現に、先程書いた女の子の推しのグループの他メンに熱愛報道が出た時、女性ファンは「かっこいい!すごい!お幸せに!!」の嵐であった。

しかし男性ファンは「嘘だろ、まじかよ、信じたくない」と女性と真逆の反応であった。

本当に興味深い。

 

 

これだけ書いておきながら、どちらの熱愛報道にも大ダメージ受けてたら面白い。一周まわって自分を憐れむ。

その時は誰か慰めてください。待ってます。

 

おかめ